自己紹介:石橋慶章

最終更新: 2019年7月13日


 今月から副院長として常勤医となりました石橋慶章です。

 現院長の長男として北九州で生まれ、ここ馬場山で育ちました。古くから当院を利用してくださっている患者さん方からは自分の「小さい頃」の話をしていただくこともあります。文字通り古巣に戻った感覚で、懐かしく少しでも自分の出来ることをしていきたいと思っています。当院をご利用される皆様にとって「よく分からない人」ではいけないので、少しばかり自己紹介を記します。


 小学時代>宇宙飛行士に憧れて、空ばかりを見ていた記憶があります。馬場山から見る星空はとても綺麗です。当時はスペースワールドが開園して間もない時期であり、なんとなく誰にとっても宇宙が近かったんじゃないでしょうか?「宇宙飛行士は視力が良くないといけない」「宇宙飛行士は虫歯があってはいけない」などの話を聞いて、徐々に希望が遠のいてしまったことを覚えています。

 中学/高校時代>テニス部に所属して中学時代は軟式テニス部、高校時代は硬式テニス部で汗を流しました。このころ、現院長の父親が仕事をする姿をみて、医師を目指そうと決めました。

 大学時代>久留米大学医学部医学科へ入学し、医学を学びました。学生時代は、もともとジャンルを問わず音楽が好きだった私は、軽音楽部に所属し人前で演奏を披露する楽しみや音楽の普遍性を知りました。また、全く接点のない人間同士でも興味のある音楽の前では互いを理解しあえる素晴らしさを知りました。担当楽器はドラムでした。おそらく、人前が苦手な私にとって、縁の下の力持ち的なドラムに憧れたのでしょう。今でもストレス発散に演奏して息抜きをしています。


 研修医>私が卒業する2年前より初期臨床研修制度が始まりました。それまで、卒業した医師は希望の科(消化器外科、呼吸器内科、耳鼻科といった細分化された科)を選び、その科を軸に研鑽を積むというものでした。しかし、知識や技術が偏ってしまう(極端な例では「消化器科が肺炎の患者さんを診療できない」など)ことを危惧した厚生労働省が、「いろんな科をまんべんなく研修するように」と始まった…それが初期臨床研修制度です。現在もこの制度は続いていて、ここでは多くは話せませんが、それによって生まれる様々な問題が話題になっています。私は初期臨床研修で「肝臓/胆道/膵臓外科」「救急」「循環器内科」「麻酔科」「食道外科」「精神科」「産婦人科」「小児科」などを研修しました。年代によって必修研修があり、当時は「外科」「精神科」「救急または麻酔科」「小児科」「産婦人科」が必修でした。これらの科で研修したことは今の自分の診療の礎にもなっていると感じています。まだまだ、研鑽する必要がありますことは自覚しています。

 外科医>臨床研修医を終えた私は久留米大学外科学講座へと入局しました。なぜ外科を目指したかと当時を振り返ってみると、一番は「患者さんの近い位置にいれる科」だと思っていたからだと回想します。「メスを握り、処置をした患者さんに対してはどうしても向き合わざるを得ない科」である以上、患者さんの近くに寄り添い、気付けない問題点にも目を向けることができる気がしていました。それは、正解でした。外科医として診療をしていくと、気がつけば術後は患者さんの状態を無意識に気にしている自分となりました。多くの外科医が共感すると思いますし、これは自分が目指す医師像に少し近づけた気がしています。


 開業継代に当たって>少し長くなりましたが、略歴というか生いたちです。決して人より抜きん出た才能や自信があるわけではありませんが、自分に出来ることを精一杯地元に還元し、地域の皆様が安心して相談できる医師を目指していきたいと思います。


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